成長に向けての転換期到来、驚異的なスピードで拡大へ
木材市場の全国展開を進め、急速な勢いで売り上げ、規模を拡大してきた60年代に対し、70年代は住宅資材商社として「資材から住まいまでを提供する」という、今日の基盤づくりをはじめました。また、住宅分譲事業進出によってはじめて最終需要家を対象とし、「『住宅産業5カ年計画』と歩調を合わせ、一大飛躍を目指そう」と高らかに宣言したのです。
以後、これらの新しい事業分野とともに、上場企業として目覚ましい発展を遂げていきました。1973(昭和48)年には東京・名古屋証券取引所市場第1部昇格、日本で初めて2×4部材の輸入を開始。そして1979(昭和54)年には、初の外債「第1回スイス・フラン建転換社債(3,000万スイス・フラン)」発行、米材製品の安定供給を目的としたアメリカ・ポートランド駐在代表事務所開設、さらに建材事業本部が総力を結集し、来場11,000名、売上高30億円という成果を上げた「百万石祭り」と、次々とビッグイベントを成功させていきました。

日榮ホーム鎌倉城辺り
第4次マンションブームのなかで産声を上げた住宅事業本部も、1972(昭和47)年8月に販売した「ニックハイム武蔵小杉」がはじめて即日完売、また1974(昭和49)年にはマンション管理を行うニックホームサービス株式会社(現ナイスコミュニティー株式会社)を設立するなど、着実に事業を本格化させていきました。
また、1969(昭和44)年に170億円だった売上高は、1979(昭和54)年にはおよそ6倍の1,006億円と、ついに1,000億円の大台を超えたのです。
「住まい」をドメインに多角化・木と住まいの総合商社へと急成長
80年代初頭になると、住宅産業界における企業倒産などが相次いだほか、首都圏マンション市場も冷え込むなど、不況色が強まりはじめました。
そうしたなか、「完全に量より質の時代に入った。これに対応すべく、企業体質を強化するとともに、確固たる事業体制を構築していこう」と、次々と新たな事業に着手、住宅産業、「住まい」をドメインに据えた“多角化路線”を打ち出しました。
1980(昭和55)年にはハウスメーカーなどに一括アッセンブル納材(のちにトータル受注・総合物流販売システムに発展)を行う特販事業本部が創設されたのを皮切りに、不動産仲介の多店舗化にも着手、1982(昭和57)年には横浜市綱島西地区の再開発事業が完成、さらに関連事業として木材・建材店向け業務用ソフトウェア開発・販売、リフォーム、賃貸用物件の運用マネジメント、ホームセンターなど、次々に事業分野を拡大していきました。
また1986(昭和61)年からスタートした第6次中期3カ年計画を「NIC」(日榮)に「EXCELLENT」(超優良)を足した「NICE(ナイス)50計画」と名づけ、全社的なプロジェクトによって個々の事業基盤の確立を目指しました。
ちなみに、このプロジェクトは、現在の社名「ナイス」の語源となっています。1988(昭和63)年6月に平田恒一郎が第2代の社長に就任。10月には「木と住まいの総合商社」「ナイスコミュニケーション」のキャッチフレーズとともに、住宅産業を包括する社名「日榮不動産株式会社」へと変更し、住宅資材事業本部と不動産開発事業本部の2事業本部体制を打ち出しました。
また、売上高の規模も1989(平成元)年には2,011億円と2,000億円の大台を突破したのです。
「素適な住まいづくり」をご提案する企業「ナイス日榮」に
90年代初頭、バブルの崩壊という現実が日本全国を駆け抜け、日本経済はその大きな代償とともに転換を余儀なくされました。
日榮不動産株式会社としての船出から3年余り、この大事な舵取りの場面で、平田恒一郎社長は即座に「不動産不況撃破推進本部」の設置を決断。
自ら陣頭指揮を執るとともに、既存の物件の早期集中販売などを行い、他社に先駆けていち早く正常化を図っていきました。さらには、筋肉質な企業体質を目指したリストラに着手し、事業体制を整備。
1995(平成7)年に、「ナイス日榮株式会社」として新たな道を歩みはじめたのです。バブル崩壊以降、引き続く平成不況のなかで、住宅業界は大きな転換期を迎えていました。その一つに、1995(平成7)年に発生した阪神淡路大震災によって急速に進んだ、住宅に対する価値観の大転換です。
住宅に対する価値観は、政策的な価格低減への誘導による合理化工法の誕生から、耐久性や耐震性へ、さらには最終需要家志向の高まりを見せはじめ、住宅性能、省エネ、バリアフリー、環境への配慮といった、新しいキーワードが生まれていったのです。
この大転換が進むなかで、平田恒一郎社長はある決断を下しました。「お客様の素適な住まいづくりを、心を込めて応援する企業になろう」。
こうしてナイス日榮株式会社は、この21世紀に向けて進んでいくこの大きな流れを正面から受け止め、最終需要家が真に求める素適な住まいとは何かを探求し、資材部門と住宅部門の総力を結集して、「素適な住まいづくり」をご提案する企業へと生まれ変わったのです(2000年には新創業を期し、「ナイス株式会社」へ社名変更)。
「お客様の素適な住まいづくり」のために新しい基軸を次々生み出す
「お客様の素適な住まいづくりを、心を込めて応援しよう」。
かつては、住宅資材販売店様と、住宅分譲事業のお客様、それぞれに対してお客様第一主義を打ち出していたのですが、この言葉が新たに全社を一つにまとめることになりました。
ここで言うお客様とは最終需要家のことであり、住宅の販売はもちろんのこと、資材の販売も最終的にはこの方々に対してどれだけ応援できるかにつながります。
「最終需要家が魅力を感じ、心からほしいと思う住まいづくりに、それぞれの立場で精一杯応援すること、それが私たちの社会的使命であり、この使命を果たすことで必ずやお取引先様にお役立ちできる」。そのために何ができるか、何をすべきか。各部門、営業部からメンバーを募り、最初に掲げたこの命題は「35歳で持てる一戸建住宅を研究する」でした。
これが、やがて個々の資材および住宅販売の社内専門家、建築士である設計担当者の知識・ノウハウを融合させ、住まいづくりに関する新しい概念と、新工法、住宅分譲における新しいシステム「スペシャルオーダー方式」、そして次世代への方向性を生み出していったのです。
また、お取引先様のお役立ちを果たすために、こうした取り組みから得た知識・ノウハウを応用し、住宅資材総合展示会「ナイスフェア」を通じたご提案、注文住宅の受注活動をお手伝いする「ナイスサポートシステム」などへと発展させていったのです。
『住まいの構造改革キャンペーン』を展開。
「地震に強い家づくり」をナイスグループとしての社会的使命に。
1995年の阪神淡路大震災では、犠牲になられた方の約8割が倒壊家屋を原因として尊い命を奪われました。
「住まいは命を守るものでなければならない」。住宅産業に携わるナイスグループは、強い使命を持って、地震に強い住まいづくりのための取り組みを加速させます。大きな地震が起こると被災地で調査を行い、「なぜ住まいが倒壊したのか」「なにが問題だったのか」「どうすれば命を守れるのか」を真剣に考えました。
その結果、倒壊した家屋の多くは、1981(昭和56)年以前の旧耐震基準で建てられた建物であることが分かりました。耐震性に不安のある住まいは、依然として多く存在し、一方で、いつどこで大きな地震が来ても不思議ではないのが現状です。
そこで私たちは、2001(平成13)年から「住まいの構造改革」キャンペーンをスタートさせ、広く一般に向け「地震に強い家づくり」を提唱するとともに、この思いをお伝えする場として、「住まいの耐震博覧会」を東京、仙台、名古屋、京都、福岡などで開催。
そして、その取り組みは耐震診断および耐震技術認定者の養成と耐震関連部材の供給推進にも拡大、2004(平成16)年1月には、NPO法人住まいの構造改革推進協会を設立、まさに『命を守る家づくり』に全力を注ぎはじめました。
「住まいは命を守るもの」住まいづくりに込めた想いを住宅事業として形に。
ナイスグループが展開する住宅事業においても、「地震に強い家づくり」を最優先に掲げ商品企画を推進。一戸建住宅事業においては、2001年から地震に強い家「パワービルド工法」(戸建住宅)を標準採用。
2000年に始まった住宅性能表示制度の耐震性能において最高等級のレベルを確保、極めて稀に(数百年に一度程度)発生する地震による力の1.5倍(建築基準法で定められた最低限必要な耐震強度1.0に対し1.5倍の耐震強度基準)の力に対して建物が倒壊・崩壊しない強さを標準仕様としました。
一方で、1971年より供給をしていたマンション事業においては、2004年に発生した新潟県中越地震を受け、さらに耐震への取り組みを強化。
2005年8月、供給するすべての物件を「免震構造」もしくは耐震強度1.25倍の「強耐震構造」(建築基準法で定められた最低限必要な耐震強度1.0に対し1.25倍の耐震強度基準)にすることとし、「地震に強い家づくり」をますます強力に推進させていったのです。
人と環境に優しい住まい『スマートウェルネス住宅』の普及促進を展開。
日本人の「平均寿命」は、男性が80.21歳・女性が86.61歳(厚生労働省「平成25年簡易生命表」)と、男性、女性とも世界トップクラス。一方、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間を示す「健康寿命」は、男性が71.19歳・女性が74.21歳と言われており、「平均寿命」との乖離は、男性で9年超、女性で12年超という現実も浮き彫りに。
65歳以上の高齢者の総人口に占める割合(高齢化率)が、2060年には39.9%に達すると予想されている日本。世界に類を見ない速さで高齢化が進むなか、国民が健康な生活と長寿を享受できる健康長寿社会の実現が急務となっています。
そのような社会的背景の下、「住生活産業を通じて社会に貢献します」という社是を具現化すべく、健康寿命の延伸に寄与し環境にも貢献する「スマートウェルネス住宅」の普及促進を、ナイスグループの新たな住まいづくりの軸として掲げ展開を開始。
まずはじめに、横浜市が進める「環境未来都市」構想の取り組みの一環として、環境・健康に配慮した建築物の普及や木材の利用促進、横浜の魅力発信など幅広い分野での連携・協力に関する包括連携協定を2015年2月に締結。
そして、「環境・健康に配慮した建築物の普及や木材の利用促進」分野の具体的な施策として、横浜市および慶應義塾大学と共同で、産官学の連携によって健康と環境に優しい家づくりの学びと体験ができる日本初の施設「スマートウェルネス体感パビリオン」を2015年10月にオープン。慶應義塾大学理工学部の伊香賀俊治研究室による協力の下、国が進める「スマートウェルネス住宅」の普及啓発と連動した内容とし、住宅購入検討者はもちろん、住宅に関わるすべての人を対象とした学びの施設の活用を始めました。
世界に広がる「SUTEKI HOME」とパワービルド工法
「パワーホーム」の設計・施工・販売等の一連の業務を集約し、さらに高効率に展開させるための新たな事業会社体制を構築。長期優良住宅の認定基準を超える性能を有する一戸建住宅「パワーホーム」の供給を、ますます加速させています。
そして、「パワーホーム」は、いまや日本国内にとどまらず「SUTEKI HOME」として海外にも拡大。100㎡の躯体が2日で上棟するパワービルド工法への関心は非常に高く、特に環境意識の高いヨーロッパでは日本が得意とする木造住宅や省エネルギー、創エネルギーなどの先進技術に高い関心を集めています。
大規模木造建築ソリューション2017【大型複合老人ホームへの取組み】
ベルギー王国大規模の木造建築物
・ナイスグループオリジナルの金物接合による木造軸組工法「パワービルド工法」で4階建てを実現
・木質断熱(厚400mm)・木造ディテール提案
・3Dによる躰体・ディテール・設備を総合検討
・現地職人の施工指導による現地施工を実現
用途:高齢者介護施設とアパートメント
建設地:ベルギー・トゥルネー
延床面積:約7,000m2(木造4階建て/居室数:介護付きアパート50室、一般アパート16室)
工期:2014年2月~2016年12月
業界初の住設建材展示即売会
以後も奇抜なアイデアで一歩リード
1959(昭和34)年に創設された建材部は建材卸問屋としては後発で、60年代前半まではベニヤ、プリント合板、石膏ボード、フロア、サッシ、天井板などの2次問屋に甘んじ、なかなか業績も上がらず苦戦を強いられていました。
転機を迎えたのは1966(昭和41)年のこと、松下電工株式会社との代理店契約を皮切りに一気に取引先メーカー様を開拓していったのです。取扱商品が拡大するなかで、「俺たちには木材市場があるのだから、ここでメーカー様別に商品を展示し、セールスをかけよう!」と、
1968(昭和43)年9月には、創立満18周年記念市と併催で業界初の住設建材展示即売会を行いました。木材市場に新建材が並ぶとあって、買方様も物珍しかったようでとにかく売れに売れまくり、売上高は1日で3,500万円(当時の建材部の月商が4,000万円前後)に達しました。以来、建材問屋が各地で競って展示即売会を開催していきました。
「他社との差別化にはアイディアで勝負」。展示即売会の先駆けとなった市売木材株式会社は、当時日本テレビ放送網株式会社の深夜番組「11PM」を手がけたプロデューサーとタッグを組み、帝国ホテル孔雀の間で異例の展示会を、日本武道館で人気アナウンサーを司会とした土佐闘犬、ミス日本コンテストなどのアトラクションを開催、当時としては先端のディスコダンスによる華やかな演出の百万石祭りと、奇抜なアイディアで、常に業界を一歩リードしていったのです。
持株会社体制へ移行
旧・ナイス株式会社はナイス株式会社に社名変更。事業会社となった新・ナイス株式会社を中核とする企業グループへ。
住宅関連業界における需要・流通構造の変化や事業者間の競争激化により、当社を取り巻く事業環境は大きく変わってきました。このような環境のなか、当社は機動的な事業運営を行うとともに、競争力をより高めるためのグループ経営戦略の策定とその推進に取り組むべく、2007年10月、持株会社体制に移行しました。
当社は、「お客様の素適な住まいづくりを心を込めて応援する」というグループ経営理念のもと、持株会社としてグループの全体最適化のための戦略立案、変化に的確に対応できるグループ組織運営、コーポレート・ガバナンスの充実を図るべく、迅速に意思決定できる機能を有してこれらを推進することにより、株主価値のさらなる向上を図ります。
Street of Dreams 2017
ナイスグループが「Best of Show」を受賞
アメリカにおける住宅事業を行う現地法人ステキアメリカは、オレゴン州・ポートランドで開催された高級住宅コンペ「Street of Dreams 2017」に初出展しました。ナイスグループが出展した住宅「SUTEKI」は、世界的建築家の隈研吾氏の設計による敷地面積約1900㎡、延べ床面積440㎡の2階建ての住宅です。縁側や勾配屋根といった日本の伝統的な文化や建築様式と、北米の最新ライフスタイルやポートランドの豊かで美しい自然を融合させた「クロスカルチャー」な住宅となっています。
今年は5社が出展して7月29日から8月27日までの約1カ月間にわたり開催され、5万人を超える方が来場しました。
展示会が終了した8月29日には受賞式が開催され、ナイスグループの「SUTEKI」はプロフェッショナル部門で「Best of Show」に選ばれたほか、「建築デザイン」については3部門全てで受賞、合計4つの賞を獲得しました。これにより、来年の「Street of Dreams 2018」において来場者に配布されるパンフレットの表紙を「SUTEKI」が飾ることが決定しました。