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特別講演 無印良品は、仕組みが9割

㈱良品計画の前会長である松井忠三氏は、同社が急激な業績不振に陥った時に社長に就任し、以後のV字回復を先導してきました。今回は松井氏に、成果に結びつく仕組みづくり、経営改革のあり方について語っていただきました。

 

コンセプトの強さで生き残る

無印良品は、生活雑貨、食品という幅広い品揃えからなる品質の良い商品ブランドとして、1980年にセゾングループの㈱西友ストアー(現・㈱西友)で誕生しました。1989年には、㈱西友ストアーの100%子会社として㈱良品計画を設立、現在では国内に420店舗、海外では27の国・地域に497店舗を出店しています。
私は、1973年に㈱西友ストアーに入社しました。このころの日本は高度成長が終了し、翌1974年には戦後初めてGDPがマイナスに転落しました。小売業界では、百貨店から量販店へと盟主の交代が起きました。この時代、流通各社はお客様が、そしてマーケットが変わったことに気付き、劇的に戦略を変えて様々な動きを見せていました。その中で、各社の取り組みとして唯一共通していたことがプライベートブランドの構築でした。㈱西友ストアーも同様に舵を切り、無印良品を誕生させたのです。
無印良品は当初、「わけあって、安い」をキャッチフレーズとしていました。素材・製造工程・包装を見直し、高品質な商品をナショナルブランドの7割の価格で提供することを目指しました。もう一つのコンセプトが、「モノしか見えないものをつくろう」です。例えば、無印良品の「洗いざらしのシャツ」は、パッケージにも入っておらず、値札を切るとどこの商品か分かりません。着やすさといったシャツの本質や機能だけで勝負した商品であり、現在でも人気商品の一つです。こうした商品開発の背景には、「禅」や「茶道」が大切にしてきた「シンプルに暮らす」という思想があります。当時の企業には、アパレルを中心に、多種多様な個人の価値観からニーズを細分化して追いかける傾向がありました。しかし、無印良品はそれとは正反対に、一つのブランドで全てのニーズを満たすことを追求することで、今まで生き残ってきたのです。
1990年3月、㈱良品計画は、㈱西友から直営店の移管を受けて独立します。初年度の売上高は245億円、経常利益は1億円でした。創業2年目には海外にも進出し、10年後の1999年度の売上高は1千億円を超え、順風満帆の成長を遂げていきました。この成功の要因の一つは、「SPA(製造小売業)」による高差益率がありました。㈱良品計画は、直接お客様と接する自社において仕様書をつくり、メーカーにオリジナル商品を製造してもらうファブレス企業です。これはメーカー利益に相当する額を収益として計上できるハイリターンな仕組みである一方、在庫を確保しておく必要があることからリスクも高くなります。しかし、現在も世界で活躍している小売業の多くはこの「SPA」であり、この高収益構造がなければ海外で戦うことはできません。

 
株価1,280円からの復活

㈱良品計画は右肩上がりの成長を遂げてきましたが、創業11年目の2000年に初めて減益を経験し、2001年の中間期には38億円の赤字に転落しました。2000年2月末に7,350円だった株価は、2001年2月末には2,750円にまで下がり、わずか1年で時価総額4,100億円を喪失しました。前社長が責任を取って辞任し、私が社長に就任したのがこの2001年のことです。「無印良品の時代は終わった」とも言われ、翌2002年には最低となる株価1,280円を記録します。この時には、「日本の専門店で一度凋落(ちょうらく)して復活した例はありません」「改革はうまくいっても3年かかる」とアナリストにも言われました。
社長に就任すると、まずこの不振の原因を分析しました。そこから分かったことは、ほとんどが内部要因に起因するということです。何よりも大きかったのは、「無印良品はこれでいい」という慢心と奢(おご)りがあったことです。急速に業績を拡大させたことで、視野が外部に向かなくなっていたのです。外部に目が向かなくなった企業は、必ずと言ってよいほど危機を迎えます。競合他社が必死に無印良品を研究して追い越そうとしていた時に、左うちわで内部でのみ議論していました。
次に、急速な収支の落ち込みに焦り、短期的な対策に終始してしまっていました。㈱良品計画は、衣料品と家庭用品、食品の3分野を扱う世界でも珍しい企業ですが、最初に業績が悪化したのが衣料品部門でした。この時、不振原因は衣料品部長にあるとして、わずか3年の間に担当部長が5人も交代するなど、組織は混乱をきたしました。こうして、デフレが進行する中で競合他社に追い抜かれ、「わけあって安い」というコンセプトも通用しなくなり、ブランドの弱体化を招いていたのです。
私は、こうした状況下で社長に就任し、不採算店舗の閉店・縮小、海外の人員整理、不良在庫の処理といった改革を進めていきました。不良在庫をまとめて焼却処分した際には、私もマーチャンダイザー達とともに立ち会いました。自分達が製造した商品が一度もお客様の手に渡ることなく灰になることほど辛いことはありません。ところが、そうまでしてゼロにした不良在庫が、半年もすると再びたまりました。業績が好調な時は、余剰在庫の分だけ売上高に上昇幅が生まれます。そのため、欠品を嫌うマーチャンダイザーが、好調な時期と同様に在庫を抱えてしまっていたのです。人は一度の失敗ではその原因に気が付かなくても、同じことが二度繰り返されると何かがおかしいと感じるようになるものです。本格的な改革はここから始まりました。
2002年は㈱良品計画の歴史で唯一の減収となった、大変厳しい年となりました。しかし、社内の大きな反対を押し切って大幅な経費削減を実行したことで増益に転じ、その後は過去最高益を更新して復活を遂げました。私が取り組んだ改革は成功し、1,280円まで落ち込んだ株価は、2015年7月には29,040円の過去最高値を記録し、次に引き継ぐことができました。

 
社風を変え「勝つ構造」をつくる

ブランドの復活に必要なことは、存在価値のあるブランドとして生き永らえるために、「勝つ構造」を構築することです。そのため、当初の危機を乗り越えた後、次の成長に向けた準備として企業風土の変革に乗り出しました。
当時、日本最大の流通企業集団であるセゾングループをけん引していたのは、それまでに培ってきた企業文化と感性であり、類まれな感性を持つマーケッターに依存する企業体質でした。一方で、科学的な取り組みや、近代小売業において最も大切であるチェーン・オペレーションなどを苦手としていました。特に大きな問題となっていたのが「経験主義」です。
セゾングループでは、社員は先人の背中を見て育つと考えていました。セゾングループでは、職種間の異動がほぼありません。販売職として入社した社員は、その後も販売を担当していきます。そのため、例えば暖冬で冬の衣料品が売れない時には、暖冬対策が失敗したとだけ考えてしまうのです。しかし、商品のつくり方、売り出し方、出店方法などを工夫することで販売を好調に進める企業も当然ながらあります。経験主義では、こうした発想に至れないのです。
また、セゾングループは、一つの企画に100ページもの提案書を求めるような会社でした。紙の量と実行力は反比例します。例えば、実行力のある量販店であれば、金曜日に一斉に全店舗で販促が変わります。一方で、西友は1カ月が過ぎても徹底できない店舗があり、こうした徹底力の差が不振を招いた要因だと考えざるを得ません。当時のセゾングループは計画95%、実行5%の会社であり、私は「セゾンの常識は良品計画の非常識」として、計画5%、実行95%の会社として㈱良品計画の社風を変えることを決意しました。
改革を実行するには、まず組織を強化していく必要があります。幼い組織は全てを人の責任で考えます。衣料品の業績が悪いのは、担当部長のせいだと短絡的に考えるのはその証左です。ある時、担当店舗の売り上げ不振について課長に尋ねると、彼は「人災」と返答しました。つまり、競合店との勝敗は店長で決まるとその課長は認識していたのです。しかし、店長を変えたところで本質には絶対に届きません。必要なのは「仕組み」と「構造」を変えていくことなのです。
マーケットには、お客様と競合他社しかいません。ですから、お客様に満足してもらう商品、競合他社に勝てる商品を生み出すしか勝つ方法はなく、そのような商品を開発する仕組みをつくって初めて、競合他社と互角以上に戦えるようになるのです。仕組みをつくることは「見える化」に通じ、「見える化」が実現できれば問題の8割は解決します。この過程で業務は必然的に標準化され、積み重なっていきます。経営のレベルが、経験主義の会社とは比べられないほど上がっていくのです。
また、改革を進める中で品質管理に苦労したことから、流通業ではなくメーカー水準の高い品質管理を実行しようと、花王㈱に協力をお願いしました。この過程で考え方、つまり価値観を変えなければいけないと気が付いたのです。花王㈱では、新商品を出すと全社員でコストダウンの方法を考えるそうです。また、コミュニケーションを大切にしているため、社内での飲み会に会社の援助が出ます。驚いたことに、酒の席において会社や上司の悪口が一切なく、前向きに議論が行われていました。残念ながら苦境にあえぐセゾングループは正反対で、自分達が苦境に置かれているのは、会社や上司に原因があるといった愚痴ばかりが出ていました。ですから、「自考・自動」、つまり、悪いのは上司や会社ではなく、自分自身に責任があると考え、改善提案を行い、社員全員で会社を変えていけるようにしていかなければ100年続くような会社にはならないと考えるようになりました。
そうして行き着いた改革の方向は、「進化」と「実行」です。「進化」とは、変わっていくお客様を見ながら、商品を、社風を変え続けていくことです。そして、経営戦略の中心に置いたのが「実行」です。「戦略一流で実行力二流」の企業と、「戦略は二流だが実行力は一流」の企業が戦えば、間違いなく後者が勝ちます。例えば、商品開発においては、「わけあって、安い」は大事にしながらも、時代に合わせて理念を足していかなければなりません。その結果として誕生したのが、世界の優秀なデザイナーとつくる「WORLD MUJI」と、世界各国の生活文化・歴史に根付いた良品を無印のコンセプトで商品化する「FOUND MUJI」です。こうしたデザイナー達と開発した商品が新たな顧客層を獲得し、ブランドが劇的に変わっていきました。

 
マニュアルは改訂してこそ生きる

良品計画には、「MUJIGRAM(ムジグラム)」という13冊、2,000ページにもおよぶ店舗業務マニュアルがあります。なぜこのような分厚いマニュアルをつくったのかと言えば、営業本部長時代の苦い経験があるからです。翌朝10時に新規開店する店舗を前日の18時に訪問すると、オープン準備は既にできていました。しかし、その後に応援に駆け付けたベテランの店長達が、自分の経験則であれこれと手直しを始めるために準備が終わらなくなっていました。これは経験主義によるものです。100人の店長がいれば、100点満点の店舗にできる優秀な店長もその中に3人程度はいますが、ほとんどの店舗は70点ほどになります。しかし、お客様にとって全てのお店が90点以上であることが大切ですから、業務の統一を図る必要があったのです。
業務の統一にはマニュアルが必須です。外部の優れたマニュアルの導入を模索したこともありますが、うまくいきませんでした。やはり、マニュアルは自社で作成しなければなりません。また、本社サイドが入れた項目は役に立ちませんでした。店舗から上がってきたものでなければ実行されないのです。
一方で、マニュアルには重大な欠点があります。それは、作成時が最終形で完成後は誰も確認しなくなるということです。そこで、㈱良品計画では社内のイントラネットを通じて上がってくる問題点と、それに対する解決方法の提案をもとに改訂を続け、毎月20ページ、年間で約12%が変更されています。
こうして作成された「MUJIGRAM」に掲載したことは、店舗において必ず実行されます。基本がなければ応用など決してできません。一般的に、PDCAサイクルのうち、C(チェック)とA(アクション)が回りません。しかし、㈱良品計画では海外においてもマニュアルを改訂しながら徹底していくことで、日本と同様の高い水準にある店舗を展開することができています。「ボリュームがあるマニュアルをどのように徹底するのですか」と、質問を受けることがよくあります。教え込もうとすれば、どんなに優秀な組織でも8割程度しか徹底できません。しかし、まるで空気のように実行する仕組みにできれば、黙っていても全店で同じように実行されていくのです。
また、トップダウンの限界を感じ、ボトムアップによる業務改善の仕組み「WH運動」を推進してきました。この運動は、効率は2倍(W)、コストは半分(H)にすることを目指すもので、部門ごとに生産性を向上するためのテーマを設定し、取り組んでもらいました。ボトムアップは、マネジメントが機能していなければ困難な取り組みですが、全社員で会社を変えていくためには非常に有効です。それぞれ目標に対して取り組み、3カ月後に中間報告、そして半年後に成果発表を行うこととし、採点者として全役員に必ず参加させました。全ての管理職がグループ単位での小集団活動を行い、率先して周囲を動かすようにしていかない限り、絶対に成果など出ません。「大切だから頑張ろう」と、ただ発破をかけるだけの人がここでは一番邪魔になるのです。

 
社風のつくり方と「DINAシステム」

社風を醸成するためにやるべきことは、それほど難しいことではありません。例えば、「挨拶・さん付け」「定時退社」「整理整頓・クリアデスク」などを徹底していくことです。オフィス内にごみが落ちている会社で、業績が良い会社などありません。清掃スタッフに任せるだけではなく、社員全員が気付いてごみを拾うような会社にしていかなくてはなりません。この際に重要なことは、まずは上から変えていかなければならないということです。
例えば、挨拶については朝の8時から9時まで本社のエントランスに私が立ち、社員550人を迎えるということを始めました。ある時、声が小さいのか、挨拶が聞こえない2人の社員がいました。そこで、その社員に対して注意するのではなく、直属の上司にも挨拶に立ってもらうことにしました。直属の上司なら素通りすることはできないでしょう。遅刻した社員を閉め出したこともありましたが、ただ社内がぎすぎすするだけの結果となりました。管理ではなく、仕組みとコミュニケーションで会社をつくっていかなければならないのです。現在は、管理職と若手社員がペアとなって立っています。何よりも大切なことは、始めたらやり続けるということです。やり続けなければ社風にはなりません。
また、業務をやり遂げるために「DINA(ダイナ)システム」という仕組みをつくりました。Dead line(締め切り)、Instruction(指示)、Notice(連絡)、Agenda(議事録)の頭文字を並べたものです。㈱良品計画では、毎週月曜日の10時に営業会議を行い、その週の方針を決定します。ここで決まった方針は、午後には部門長から部下に共有がなされます。しかし、部下に伝わる情報量が会議で決まった内容の半分以下になることがほとんどです。そこで、会議終了後30分ほどで全社員に対して議事録を送り、社員がこの議事録を見ると「○」が付くシステムをつくりました。部門長は「○」が付いていない部下を確認し、直接指示を出します。大切なのは「デッドライン」です。全ての業務は全社員の注視の下でデッドラインが決まっていきますから、できないとは言えません。デッドラインの中でやりきる、実行し続ける仕組みです。やりきらなければ、会社の力には一切なりません。午後4時まで勤務する子育て中の女性は、10時間を費やして仕事をする人と同じレベルに仕事を仕上げていきます。これもある意味でデッドラインの効果です。
店舗で出勤後にパソコンを立ち上げると、予算や実績に加え、その日にやるべき重要な仕事が表示されます。例えば、異物混入への対応といった重要な仕事にきちんと対応したのかどうかを本社で確認することができ、本社の担当者は電話で直接指示を出せます。店長は毎日店舗にいるわけではありませんので、店長がいなくても、こうした重要な仕事がスタッフに伝達され、確実に実行できていなければならないのです。
また、販売部門が、今週は欠品をなくそうと決めたとします。その際、本当に実行できているかどうかを経営陣が確かめるために、販売部門からの報告を待つのではなく、毎週30~40店舗を訪問している監査室のスタッフが確認して、社長まで報告を上げる仕組みとしました。30店舗程度を確認すれば、統計的には全店で同じように行われていると推測できますから、それを受けて次の指示が流れていきます。
経営上、トップが全てを見えるようにしておくことが重要です。コミュニケーションの仕組みは、このレベルで考えていかなければ、上手くいかないと私は考えています。つまり、トップが自ら旗を振り、それを受けて社員一人ひとりが頑張るということです。組織全体が情報を共有して、全体で全てをやりきっていかない限り、顧客満足を向上させて勝ち抜いていくことはできません。㈱良品計画は、これらを積み上げてきましたし、今でもそうした仕組みで動いていると信じています。ぜひ無印良品にお立ち寄りいただき、一品でもお買い求めいただけるとありがたく思います。