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ナイスビジネスレポート

特別講演
環境革命の時代における新たなビジネスモデル
―日本の森と暮らしをつなぐ―
 産業革命から環境革命へと転換期を迎え、豊かさの指標は大きく変化しようとしています。農山村の活性化について、自然資本財としての価値やグリーンインフラとしてとらえなおすことを提唱している涌井史郎氏のお立場から、今後私たちに必要な視点についてご講演いただきました。



人間の体内には「森林」の記憶が残っている

 産業革命によって誕生した世界が終わりを迎え、人々のライフスタイルやワークスタイル、更にそれらに基づくビジネスモデルは現在、「環境革命」によって大きな転換期を迎えています。このことを認識しない限り、世の中から置いていかれかねません。また、現代は「不安」の時代です。私たちは「地球が危ない」「日本が危ない」「都市が危ない」「地方が危ない」という4つの不安を抱えています。これらの不安といかに向き合うかが、未来を語る上で重要な視点となります。
 まず、地球が無限であるという考え方はもう捨てなければなりません。ニホンウナギがレッドデータブックに掲載されるとマスコミは大騒ぎしますが、実は最も絶滅の危機に瀕しているのは人間です。また、日本に限って言えば、少子高齢現象に伴う構造的な変化がこの国を危うくしています。これに関連して地方はどんどん消滅していく可能性が高いと言わざるを得ません。かてて加えて、環境に配慮し、物や人の移動を情報に置き換えるという産業革命の最終章とも言われるようなICT(情報通信技術)やIoT(モノのインターネット)、AI(人工知能)といった技術が確立されつつあります。ところがそうした技術に不適合な反応を示す人々が増えはじめています。人間の心は繊細です。デジタルな世界にアナログな生命と心を持つのが人間です。その不適合が、ストレスによる心因性気質障害として顕在化しつつあるという訳です。つまり総じて、不安のあふれる時代となっています。
 それらに特効薬はないのかもしれません。しかし、森林がそれらに漢方薬のような役割を果たすと私は考えています。樹上生活をしていたサルの時代から地球環境は変化しましたが、人間の体内には森から生まれたという記憶がしっかりと残っています。また、記憶のみならず生理的機能にも森は私たちのふるさとである証拠が残されています。たとえば、人間の視神経は緑色を知覚し、分析する能力に優れていることが分かっています。それは、樹上生活をしている時に食べものを見つけたり、危険を回避したりする必要があったからだと考えられています。
 地球は半径約6,400qに及ぶ大変大きな星ですが、その中で生物が存在できる空間は、実は、およそ30q程度しかありません。大気中で20q、海中では約10qと、この程度の範囲内でしか活動できません。大きな球体の上に薄くラッピングされた膜、これが生命圏です。重要なことは、この生命圏の中に様々な生き物がそれぞれの役割を果たして生態系をつくり、生物圏の中のエネルギーと物質の自律的な代謝関係をつくり出しているということです。
 私は造園もしていますが、「ガーデン」という言葉は古代ヘブライ語の「Gan=囲まれた」と「Eden=楽園」からきています。地球、とりわけ生命圏は、人間のみならず多くの生物たちにとって囲われた楽園であることを意識していただきたいと思います。しかし、残念ながらこのデリケートな空間で、人類という種が異常な働きをして、この薄い膜を壊そうとしています。
 人間がいない自然条件下では、生態系がCO2を吸収する能力は約31億炭素トンだといわれています。ところが、私たちが今排出しているCO2は72億炭素トンにも上ります。つまり、行き場がないCO2が41億炭素トンあるわけです。これをどうすればよいのでしょうか。私たちの生活は、毎日の食事や衣服、あるいは空気さえも他の生物からの恩恵を受けて成り立っています。未発見も含めれば約1億種とされる生物が、1975年以降、年間平均で約4万種も絶滅しています。これを1億点の部品でできた宇宙船「地球号」として置き換えてみると、単純に言えば、年々乗客は増えているのに、毎年4万点の部品が脱落していると言い換えられるかもしれません。これでは、いつまで飛び続けられるか分かりません。
 1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた「国連環境開発会議(地球サミット)」において、ようやく「気候変動枠組条約」と「生物多様性条約」が提起されたものの、その取り組みはなかなか進展しませんでした。ようやく自分たちが経済的な利得を獲得できるようになった途上国とすれば、これまで経済メリットを享受してきた先進国から「待った」がかかるわけですから、面白くないのは当然です。京都議定書以降の18年間、途上国と先進国の間でこう着状態が続いていましたが、2015年に150カ国の首脳が集まった「COP21」において、ようやくパリ協定の採択にいたりました。
 しかし、その合意の裏には大変皮肉な事情がありました。それは、「環境ストレスは最もぜい弱なところにしわ寄せされる」という真理が、皮肉にも途上国を悩ませたという側面があります。つまり、人為的な自然災害の被害を最も大きく受けたのが最貧国だったということが投影された、皮肉な結果が働いた結果でもあったのです。そのため途上国は、先進国に反目するのではなく同じテーブルにつき、パリ協定の締結にいたったのです。
 生物多様性や気候変動など、リオサミットでおよそ30年前に協約された持続的未来への取り組みの成果が、遅々として結果を生まぬ状況に対し、改めて、地球に生きる人たちに対して自覚を促したのが、2015年の国連サミットで採択されたSDGs※です。そのSDGsの17の目標の中にも、森林に対して無関心でよいのかという働きかけが明確に示されています。先述の通り、年間41億炭素トンのCO2がオーバーユースになっている状況下で、積極的に森林を維持することで森林に9億炭素トンを吸収してもらおうというわけです。
 これまでに述べたことで、地球は無限で、人間は成長だけを指向していれば幸せになれるという従来型の発想が、明らかに間違っていることに気づかれると思います。従来の常識の延長線上で考えていると、新たな発想を生み出すことができません。これまではずっと、現在の延長線上で将来を予測する「フォアキャスト」の発想できましたが、これからはあるべき将来の姿から現在を振り返る「バックキャスト」で考える時代です。銀行の貸し付けにたとえれば、これから業績が伸びるどうかではなく、用立てたお金をしっかりと計画的に返してくれるかどうかがポイントになるということです。同様に、環境も地球の限界から逆進的に考える必要があるということであり、こうしたアプローチがとても重要です。
 これからは、「成長」ではなくて「成熟」こそがキーワードとなります。そしてその成熟のために、社会資本財だけではなくて、自然を資本財としてきちんとカウントする必要があります。更に、利益結合体だけでなく、自然やその土地の風土に根付いたコミュニティーとのつながりを大事にした地縁結合型社会を目指さなければなりません。

※ Sustainable Development Goalsの略称で世界が2016年から2030年までに達成すべき17の環境や開発に関する目標

産業革命から環境革命へ

 産業革命の時代には、地球環境と資源は無限であり、自然は人間活動のための資源でしかなく、科学とは自然を資源化する手立てであると考えられてきました。しかし、地球環境は有限であって自然も資本財であり、社会的共通資本であると考えるのが「環境革命」です。
 近年では、自然共生の思想が重要であり、持続的な未来のために、私たちはどのようなライフスタイルを送るのかが大切だと、考え方が変わってきました。ビジネスモデルも大量生産から多品種少量生産へと変化し、消費者は安いからではなく、自身のライフスタイルや、価値感に沿うかどうかで商品を見定めるようになってきました。
 また、これまでイノベーションは技術的な蓄積の上に起きるとされてきました。ところが今は、こんなものがあったらいいなという仮説を立てるところから始まります。これは、クリエーションが先導したイノベーションであり、既存のものと全く違う構造です。iPadをつくったスティーブ・ジョブズ氏が良い例です。これまでにない発想が技術を生み出し、伸ばすということです。これからは、この部分で成功した国が大きな経済力を持つようになるだろうと考えられます。
 日本は、日本という国と人がいかに優れた自然共生の技術を受け継いできたのかということに、もう一度目を向ける必要があります。日本であればこそ、世界に先駆けたクリエイティビティを発揮し、創造的な発想を世の中にプレゼンテーションできる可能性があるのではないでしょうか。

「しのぐ」「いなす」自然共生の知恵

 日本は自然が美しい国ですが、一方でこれほど自然災害が多い国はありません。世界の陸地面積に対してほんのわずかの割合しかない日本列島で、マグニチュード5以上の世界の地震の約7割が起きています。また、国土の3分の2は積雪・豪雪地帯であり、一晩で1〜2mの雪が降る国などそうはありません。岐阜県で活躍したオランダ人の水防技術者のヨハニス・デ・レーケ氏は、傾斜勾配のきつい日本の川を見て、これは全部滝だとも言ったそうです。
 美しいものにはトゲがあるとよく言いますが、人間も日本の自然も全く一緒です。私たちは厳しい自然に逆らわずに、自然と向き合い、観察して、どのような問題が生じるかについて常に予見しながら生きてきました。そして、押さえ込むのではなく、「しのぐ」「いなす」という術を獲得し、日常において自然を畏怖する、尊敬する姿勢を失わなかったのです。これが自然共生の考え方です。
 東日本大震災以降、世界は日本人の「いなし」の知恵が世界を救うと考えました。2015年に第3回国連防災会議が仙台で開かれた際に、日本のような森林を活用した災害防備であれば、貧しい国でも可能ではないかと考えられ、「生態系を活用した減災・防災(Eco-DRR:Ecosystem-based disaster risk reduction)」に注目が集まりました。しかし、現状のままでは、日本の森林は大きな課題を抱えています。木材市場で木材価格を見ると本当にがっかりします。残念なことに山元の一人負けといった状況にあり、抜本的な戦略の転換が必要だと言えます。少なくとも、国が山元に対してこれまでとは別な価値観で評価することが必要です。木材の産出量を基準にした価値ではなく、国土に対してどれほどの社会的な便益を山が果たしているかに対する補助の体系をつくるべきではないかと考えています。
 来年度から森林環境税がスタートしますが、必ずしも全てが好転するとは考えていません。なぜなら、公平公正の原則が働くために、それを受け取る市町村がまだどうしていいのかわからない状況にあるからです。そこで私は、上流・中流・下流を一体化した岐阜県森林技術開発・普及コンソーシアムをつくり、行政ではなく民間型の森林総合監理士(フォレスター)を養成する講座をつくりました。ようやく今17名となりましたが、このような体制を構築することによって、適切な森林環境税の使途が定まります。国がもっと早く推進していかなければならないことですが、森林環境税の創設で安心してしまったようにも思います。ここに大きな課題があるような気がしています
 5年前からドイツのロッテンブルク林業大学と私どもの大学が連携協定を結びました。ドイツの林業は、日本とほとんどやり方に差がないにもかかわらずしっかりと利益を出しています。このノウハウを私たちは学び、一方、ドイツは日本の害獣処理における罠猟のノウハウを取り入れたいとしています。ドイツでは銃による害獣処理の技術はありますが、罠猟については100年ほど前に遺失してしまっています。これは必ず芽が出ると思います。

100年グリーンインフラを大切にし、 里山社会をつくる

 環境省が今年4月に策定した第5次環境基本計画には私も携わりました。ここでは、森・里・川・海、これらが関連した国土像をあつらえていくべきであり、その目標に向かって環境省の施策をすべて体系化していくと謳われています。
 宮城県気仙沼の牡蠣(かき)の養殖業者は、味を良くするために上流に木を植えています。防潮堤をつくり、河川の途中にどんどん小さな砂防堰をつくることで、森の栄養分が海に入らなくなったからです。その結果、藻場が貧栄養になり、ウニが海藻を食べ尽くしてしまう。東北ではこうした磯焼けという現象が発生しています。
 また、かつて海のない岐阜県で「全国豊かな海づくり大会」を開催しました。すべての自然が循環して初めて健康な国土が生まれるのであり、その一番大きなポイントは森林です。伊勢湾と富山湾でおいしい魚が採れるのは、岐阜の山がしっかりしているからこそです。このように天皇陛下に申し上げると大変喜ばれ、長良川に稚魚を放流されました。
 2050年には、16の都道府県の人口が現在の約半分に近くなるとされています。誰も住んでいない場所が増えるということです。そこで私が主張しているのは、地域の自然、とりわけ農林地を近未来の資本財として再評価することです。その代わり、いたずらに豊かさを追い求めるのではなく、幸福感を尺度とした「深める社会」を目指していきましょう、ということです。その際、IoTやICT、AIに背を向けるのではなく積極的に取り入れ、環境革命の入口と認識して産業化していくべきです。また、集権的な国土構造から、コミュニティーが見えるかつての「藩」のような分権型にすることも必要ではないかとも思っています。藩には自然の地物地形によって決まった背景があるわけですから、そこに立ち返り、自然と共生する農林水産空間を森・川・海・里が相互に連携するシステムとして捉えていく、こういう国づくりを今後していくべきだと考えています。また、都市と地方の社会がお互いに分担し合っていくことも重要です。大都市は豊かさを追い求めるが、地方都市は豊かさを深めていく。こうしたメリハリが大きなポイントになってくると思います。
 エコノミーとエコロジーの「エコ」は、いずれも古代ギリシャ語で共同体を表す"オイコス"に由来します。この共同体を健全に維持するために、ノモス=秩序が必要だというところから発展したのがエコノミーで、一方、自然の真理=ロゴスを認識することが重要とするのがエコロジーです。人間が豊かに生きていくために、この2つは決して対立概念ではありません。
 総括的に言えば、「自然資本財=グリーンインフラ」ということです。その上で人と自然との共生を実現した里山社会のようなモデルをつくらなければなりません。これからの100年は、自然資本を国土の中にどう位置づけていくのかが大切であり、森林林業の再活性化こそが暮らしを支える大きな方法の一つです。そのためには、林業・木材産業関係者の変わらずの努力と、国や地方公共団体の取り組みにより、国民を含めた社会全体が森林・林業の大切さに目覚めていくことが非常に重要だと思っています。

豊かさを深めていく社会へ

 2004年のスマトラ島沖地震によるバンダアチェの津波では、10万人以上の方が犠牲となりました。その理由の一つに、海岸のマングローブを伐採してエビの養殖地としたことがあります。自然と向き合って暮らしている方たちは、マングローブ林が持つ意味を知っていました。生態系は激甚化する災害において大きな防波堤になります。これを「グリーンインフラ」と呼ぶのです。日本も無理に堤防などつくらず、森・里・川・海が循環するグリーンインフラを重視しながら、国土を美しく豊かにしていくべきでしょう。今まで日本人は、ほしいものを買うためにお金を得ることを大事にしてきましたが、これからは、豊かな暮らしとはと考えていくことが必要です。
 アメリカの心理学者アブラハム・マズロー氏は「人間の欲求5段階説」の中で、自分らしく生きていくことに対して人生の時間をどれほど使うことができるのか、これが一番重要だとしています。たとえば、映画「釣りバカ日誌」シリーズの主人公のように自分らしく生きていくことに時間をかけると、実は、今までにないとんでもない発想を生み出すことにつながります。遊びのないところに新たな産業技術は生まれません。これからは遊びをもって豊かさを深める社会となると思っています。
 ウルグアイのムヒカ大統領は、2002年の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」において、「発展には人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。幸福が私たちの最も大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません」とスピーチしています。また、ものを持たない人ではなく、今に満足しないで、もっともっとと欲しがる人が一番貧乏なんだとも語っています。この点に着目していく必要があるのではないかと思います。
 私は新国立競技場の選定に当たり審査員を務めましたが、結果としてできる限り国産材を使うというコンセプトの隈研吾氏の案が採用されました。また、(一社)公共建築協会による公共建築賞において、私が中央の審査員になってからは、木造でない、あるいは木造がある一定の度合いを越さないものは対象外にするといった努力をしています。
 最後になりますが、世界で一番美しい日本の自然を、孫やひ孫に伝えていくためにともに努力し、森林に関わる生業に誇りを持ち、引き続き頑張っていただけることを願っています。