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ナイスビジネスレポート

追悼 平田周次名誉会長
絶対的信頼に応えるために全力で歩んだ人生

すてきナイスグループ株式会社 代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)
ナイス株式会社 代表取締役会長
平田恒一郎

 私の父であるナイス鰍フ平田周次名誉会長が2018年7月23日12時28分、急性心不全により永眠しました。享年満92歳でした。皆様からの生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、通夜、葬儀・告別式につきましては、近親者だけで執り行わせていただいたことをあわせてご報告いたします。
 生前を振り返りますと、父は1925年11月16日に生まれ、1947年7月1日に結婚、その翌年に私は生を受けました。1950年6月23日に市売木材鰍設立して代表取締役社長に就任し、同年7月15日、当時の国鉄鶴見駅構内において関東初となる「市売り」を実現し、大成功を収めました。木材の「市売り」は木材の大量販売を可能とし、瞬く間に京浜地区、東日本、全国へと「市売り」ブームを巻き起こしました。その後も順調に売り上げを伸ばし、1959年には建材商品の販売を開始、1962年には木材流通業界で初となる東京証券取引所市場第2部に上場しました。1971年には業態が大きく変化したことに伴い、社名を日榮住宅資材鰍ヨ変更、1973年には東京証券取引所市場第1部に昇格、そして、1979年には売上高1,000億円を超える企業グループへと発展を遂げました。
 私にとって、父は本当に偉大な存在でした。「躾は厳しく、愛情は深く」が父のつくった家訓で、優しく、愛情が深い父でもありました。生まれたばかりの私のために、鶴見から、当時自宅のあった梅屋敷まで大八車で足場丸太を運び、大きな鯉のぼりの柱を建ててくれました。しかし、その一方で、直接聞いてはいませんが、会社と息子とどちらが大切かと問えば、迷うことなく「会社」だと答えると思われる、会社第一の人でもありました。私は父の全てを尊敬し、その背中を見ながらこれまで父と一心同体に歩んできました。
 父には華があり、オーラがあると言われるほどの人でした。講演会の挨拶などで一度壇上に立ち話し始めると、一言、二言、声を発しただけで聴衆の心をわしづかみにするような魅力がありました。そのような父を見てきた私にとっては、とても真似はできないと感じさせる偉大な存在でした。そんな父に対し、父の分身として、父を陰で支えることに私は全力で取り組むことにしました。
 1987年に父が体調を崩したため、翌1988年、私が当時の日榮住宅資材鰍フ代表取締役社長の職に就くことになりました。その後、バブル崩壊による不動産不況や、それに端を発した日榮ファイナンス鰍フ会社整理申し立てなど、私どもナイスグループにとって経営の根幹を揺るがすような危機がありましたが、社内外の多くの皆様に支えられ、これを乗り切ったことにより現在のナイスグループがあることを深く感謝しております。
 ナイスの本社ビル1階には、「無信不立」と書かれた額が掲げられています。この「信なくば立たず」は、父が座右の銘にしていた言葉でもあります。信頼を何よりも大切にし、謙虚さを持ち合わせた人でした。また、ナイスグループの社是は「お客様の絶対的信頼に応えることを第一の目的とします」としていますが、単なる信頼ではなく、「絶対的信頼」という部分に父の信念が良く表れていると思います。ナイスグループは、常にお客様の絶対的な信頼に応えられる会社であることを目指してきました。そして、これからも「お客様の素適な住まいづくりを心を込めて応援する企業」を目指し、お客様、そして社会に対してお役立ちをしていくことで「絶対的信頼」をいただける会社にしていきたいと考えております。
 父は創業者であり、亡くなるまで会社第一の人でありました。この7月の初旬までほぼ毎日、会社に通勤していました。常に、会社をよくするためにどうすればよいかを考えており、父の会社に対する熱い愛情を感じる毎日でした。私はその遺志を受け継ぐとともに、これからもナイスグループにかかわる皆様のために、全力でまい進してまいりますので、皆様のご支援ご指導のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。父に賜わりましたご厚情に深く深く感謝申し上げます。