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戦後の木材流通業界をリード 市売木材鰍ニ平田周次の足跡

国鉄鶴見駅構内で産声を上げた関東初の「市売り」

 1950年7月15日、当時設立されたばかりの市売木材鰍ヘ国鉄鶴見駅構内において、関東で初の「市売り」を行いました。開催直前までに、主に関西方面から木材製材品を満載した20両以上の貨車が続々と到着し、鶴見駅は瞬く間に木材置き場と化しました。そして当日、市売りを全く知らない木材店主などが80人ほど集まりました。
 初めは慣れない競りに声も出なかった「買方様」でしたが、しばらくすると価格の安さに気づき始め、最終的には大いに盛り上がり、全量売り尽くして終了しました。
 市売木材鰍ノとって、この「初市」は大赤字だったのですが、安さと「初市」の大成功がうわさとなって広がり、京浜地区から関東一円、さらに東日本、全国を巻き込む「市売り」ブームの中心的な存在になっていきました。


「市売商報」でマーケットリーダーに

 平田周次が創業当初、もっとも注力したのは「市売商報」(現・ナイスビジネスレポート)の発行でした。創刊した当時は、「市売り」で取引された製材品の産地と価格を詳細に伝えるワラ半紙1枚の簡単なガリ版刷りでしたが、これを全国の製材所に余すことなくダイレクトメールしたことで、市売木材鰍ノ出荷すればいくらで売ってくれるという情報が伝わり、各地から続々と製材品が集まってきました。集荷さえすれば全量売れる、このような「情報戦略」で設立したばかりの市売木材鰍ェマーケットリーダーのポジションを確立していきました。
 「市売商報」は1951年に第3種郵便物の認可を受け、刻々と変化する市況をリアルに伝えるとともに、市売木材鰍フ経営方針や最新の動向を伝え、木材業界における信頼を獲得しました。


木材流通業界初の株式上場へ

 市売木材鰍ェ1960年ごろに直面していた最大の経営課題は「資金の確保」でした。木材市場の全国展開や事業の多角化に着手していたものの、会社の成長のスピードに資金が追いつかないという事態になっていたのです。解決策として会計士から株式公開することにより、市場から資金を調達するとよいとのアドバイスを受け、平田周次は即座に株式上場することを決断し、早速準備にかかりました。
 そして、1962年7月、「初市」からわずか12年で市売木材鰍ヘ東京証券取引所市場第2部に上場を果たし、木材流通業界では初の快挙となりました。
 その後も他社に先駆けて外債を発行するなど、平田周次は資金調達面においても業界をリードしていきました。


「地方の時代」を見据えて全国展開、多角化を推進

 1963年9月、市売木材鰍ニしては2つめの木材市場となる「相模原市場」を開設しました。地方都市においてインフラ整備が活発化し、道路網の発達が今後の木材流通に大きな影響を与えることになり、これからは「地方の時代」になると確信した平田周次は、「相模原市場」の開設をきっかけに、1960年代のうちに関東一円、宇都宮、多摩、小田原、埼玉、前橋、長野と次々に木材市場をオープンしました。
 そして、1970年代になると木材製材品の「市売り」だけではなく、建築資材全般から住宅そのものまでを提供する「総合住生活産業」を目指すようになり、商号を「日榮住宅資材梶vに変更し、今日のすてきナイスグループ鰍フ事業基盤となる建築資材事業、住宅事業を確立していきました。
 業績も右肩上がりの成長を遂げ、株式上場から11年が経過した1973年には東京証券取引所市場第1部に昇格しました。


木材や住宅業界の成長・発展にも注力

 平田周次はグループの発展のみならず、木材流通業界や木造住宅の発展に努め、(一社)全日本木材市場連盟・副会長、神奈川木材市場連盟・会長、関東木材センター協会・会長、さらに(一社)日本木造住宅産業協会・副会長を歴任したほか、国の諮問機関の委員などにも積極的に取り組みました。
 このような長年の功績が評価を受け、2009年の春の叙勲において「旭日双光章」を受けました。